曖昧に回帰

曖昧に気持ちを記録

寝かせると面白くなることがある

 

本棚が足りない。昔に比べて本を売らなくなってというのもあるし、読むジャンルが増えたというのもある。
そして積読本がまあまあ多いが要因としてかなり大きくなっている。
昔は買ったら読む、買ったら読むしかしなかったし売ることも多かったので、読むけど本棚は空いていることしかなかった。
しかし今は買ったものの読むタイミングを失ったり、読んでみたけどあんまり…でも置いておくかみたいな本がかなり多い。そろそろ意を決して売りに出すべきだと思う。現代売っても大体の本はまた買える。絶版でネット中古も見当たらず右往左往した記憶がある本は一冊しかない。

ただ寝かせて(積んで)おくと数年後に面白くなるという現象は本当にあるんだなあと実感したのが今日の読了本。

 

きつねのほんは猛烈に森見登美彦にハマった時に買ったのだけれど、その時はあまり面白いと思えず本棚の積読コーナーに置いておいた。
多分三、四年は寝かせたと思う。それからも森見作品は定期的に読んだけれどこれだけはずっと手を伸ばさず寝かせた。
急に読もうと思ったのは特に理由がなく、そろそろこの氷山を崩さねばと思い手に取ったのがきつねのはなしだった。
久しぶりに読み始めると、あれ?こんなに面白かったっけというぐらいスイスイ読めた。
全体的に森見作品によくあるどーーん!!!!としたキャラクターはいないかも。だから昔はあんまりだったのかなあ。
変な人は多い。出てくる人はだいたい変。そこは森見登美彦だし、京都が京都しているのもそう。
連作短編集ではないけど、ある骨董店の店名がちょこまかと登場する。あれ、これは連作短編集ってこと?
森見登美彦の変人大放出ドンドコワールドが苦手だけど、不思議系の話が好きな人にはおすすめ。

表題作が一番好きかなあ。でも果実の中の龍に出てくる先輩とか好き。この先輩が一番森見作品の登場人物っぽいかも。
スルスルぬるぬると現実のような非現実のような。その境界線みたいな、繋ぎ目みたいなところが出てる作品が好き。

 

多分私がぬるっとした現実と非現実の合間を描く作品がすごく好きなのは

菜の子先生シリーズに小学生の頃どハマりしたからだと思う。知ってる人いないかなあ。
これ本当に好きで今でもたまに読んだりする。
菜の子先生と小学生の不思議でちょっとした裏側みたいな世界を冒険する話が最高。児童文学って一般文芸とは全く違う良さがある。
前も書いた気がするけど、ハッピーノートとか狂ったように読んでた。子供ではあるんだけど、子供から少しずつ自我というものを持ち始めた年頃の閉塞感とか周りとの距離感とかがあまりにもそれで。あれを大人になってから描けるというのがめちゃくちゃすごいと思う。
主人公と主人公が好きな男の子が本当はどんな状況だったかとか、ちょっと大人びた同級生へのプライドとか。

ああ、懐かしい。多分小中学生ぐらいの時が一番本を読んでワクワクするという体験をしたと思う。
戻りたいかと言われると特にだけど、あの頃の邪念も何もなく読んでいた気持ちをもう一度味わいたいなぐらいは考える。

 

今度久しぶりに名刺代わりの10選考えたい。前にやったのが三年ぐらい前。その頃に流行り始めた記憶があるから、割と長生きなタグな気がする。
なんとかかんとかその時の10選を発掘できたけど、かなり変わっていそう。生きていると変わりゆくものなんだなあと。
あと一冊被っていると、何冊か被っていることがまあまああって面白い。同じ趣味をした人が世の中結構いるんだなあと嬉しくなる。

 

そんな感じ。