曖昧に回帰

曖昧に気持ちを記録

文字が好き、文章が好き

 

文章を読むことが好きから始まり気がついたら書くことも大好きになっていた。
多分初めて物語を書き始めたのが小学三年生ぐらい。百均で原稿用紙を買ってもらって頭の中のアイデアいっぱい書いた。全然完結しなかったけど。今でも原稿用紙に文章を書くのは好き。キーボードを打つよりもはるかにいっぱい書ける。なんでかはわからない。不思議。

幼い頃の夢の一つに小説家になることがあった。全然才能ないなーって今は悟ってて、自由に書きたいものを書きだめてたまーにネットに流すぐらいになったけど。
でも頭のどこかでは小説家になりたいなってずっと思ってる。私の人生の一番のエンターテイメントだから。ずっと小説に代わるすごいものを探してみたけど見つからなかった。多分ずっと私の中で一番私を楽しませてくれるものだと思う。

文字の羅列が好き。小説じゃなくても日記とか大好き。人の日記や思想や思考を読むのが大好きで昔からずーっとブログが好き。
初めてブログを書いたのは多分十二歳。そこからここまで多分一年何もブログを書いていない年はなかったと思う。毎年どっかでブログ書いてた。同い年でここまでずっと何か書いてる人案外少ないのではと思ったりする。
今ってブログ人口どうなってるんだ?私が書き始めた頃はすっごく多くて、芸能人みんなが今のYouTubeかそれ以上に書いてて、大好きな芸能人のブログを一から最新まで読み漁るみたいなことばっかりやってた。
中学生の時にアメーバで繋がってた人と高校生になってツイッターで再開した時は流石に感動した。向こうも覚えてくれてて、お互いにえー!?!?!?となったのを今でも覚えている。あの人元気かなあ。

懐かしい。私の青春はソシャゲと言っても過言ではないような人生を送っていたけどブログも間違いなく青春だよなあ。
色んなSNSが出てきて流行って、それでもなんやかんやでブログは生き残っているのですごいと思う。Twitterでは表現できないことがブログではできる。これからどんどんクローズドな文化になるのかもしれない。既にそうなのかもしれないけれど。
ずっとずっとブログだけは生き残っててほしい。そんなことを考えながらずっと何かしら書いてた。

文章を書く理由の一つに自分の感情をいつか見返すため、というのがあって案外これが役に立っている。
その時考えていることは永遠だと信じていた日もあったのだけれど、今となればとてつもなく儚いものなんだなと思う。私が十年前に何考えていたかなんて全然わからないし。どんな思考で、どんな思想だったのだろう。変わっていない部分もあるだろうけれど、いくらでも変わってるはず。
きっと昔つまらないな、と思っていた思考に自分もどんどん吸い込まれているのだと思う。成長することってつまらない思考に包み込まれて行くことなのかなと思ったり。よくわかんないな。軟化したいとあれほど願ったのに硬化していくばかりです。

色んなところに日記を残し過ぎてもうわけわかんないし、全然発掘できない日記だってあるけど今でもすぐに読める日記もそこら中にあって面白い。色んな人に今の感情を記録していてほしいってずっと思ってる。そしてもし良かったらそれを読ませてほしい。
紙ベースの日記は五年日記をつけていて今で四年目。全然毎日どころか一ヶ月書かないとかもあるけれど、たまに読むとめちゃくちゃ面白い。あとは四年前ぐらいからずっと買ってるロルバーンダイアリーの後ろのメモ帳に定期的に感情を書き殴っている。これも面白い。割となんでも人間すぐに忘れてしまうので言ってもらって嬉しかったこととか書いておくと後からでも嬉しくなれる。

私は自分のその時々の感情にすごく価値があると思っているので書いている。こんな人間あんまりいないのかな?
自己愛と周りの人の良さだけで生き延びてきた。私が持っているものはこの二つ。だけどすっごくラッキーなことにもてた二つ。

あとは自分の考えていること、自分の思いを何かの形にすることが好き。
こんなことどうかな?ってことを口で言うよりも文章にする方が得意というか素直にできる。よく親へのメッセージを手紙にしたことがある。書くだけ書いて正気に戻って渡さなかったことがほとんどだったけど。

忘れたいこととか、忘れたくないこととか多分ずっと書くと思う。書き続けたい。
ただ書くことが好き。文章が好き。だから書く。最後はこれだけなのかも。
価値とか、数とか、数字とか、誰が読んでくれるくれない関係なく手を動かして文章を作ることが好き。